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help リーダーに追加 RSS 生涯の夢破れる時 渡天(インド行き)の中止 明恵上人 4

<<   作成日時 : 2008/05/01 08:50   >>

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画像 生涯の夢が打ち砕かれたとき、ずっと抱きつづけた夢を実現させる寸前にあきらめなければならないとき、人はどのような行動をとるものでしょうか?

 鎌倉初期の名僧、明恵上人(1173〜1232)は32歳のとき、幼い頃よりの悲願であり旅支度までしていた、天竺(インド)渡航をついにあきらめます。 

    インド、現ビハール州にある 
    ナーランダ (Nalanda)遺跡  → 
    

 この二回目の入唐渡天計画が挫折したのは元久2年(1205)のことです。 実現せんばかりになったとき夢は打ち砕かれたのでした。本当に残念・無念だったでしょう。 「大唐天竺里程書」という明恵上人の書かれたインド旅行旅程表が残っています。

 明恵上人は、お釈迦さま(釈尊)が恋しくて恋しくて、上人みずから語っているように、偉いお坊さんなんかに全然なりたくなく、ただお釈迦さまの生きた国(インド)の空気を吸い、たどられた道を同じように歩き巡礼する、それだけを実はしたかったんだそうです。
 
 1202年頃から、明恵上人や弟子たちは、三蔵法師の「西域記」などを基にして、唐(中国)を経て、天竺(現在のインド)行きの計画を綿密に立てます。 明恵さん29歳の頃です。 

 鎌倉初期、インド渡航計画ってかなり無謀だと私は思うのですが・・・今だってインド旅行は、ハワイへ行くよりかなり大変です。 受けたほうがいい予防注射は日本脳炎、狂犬病、A型肝炎、B型肝炎、破傷風・・・(ああ、痛そう!)

 インドへの旅の前提条件として、まず中国の唐に無事着けるか?という問題もありますね。 遣唐使の船は何回も難破して命を落とした人が続出しています・・・・唐からインドまで、西域記のようであれば、馬に乗ることはあっても基本的には あ、 あ、歩いていくのですよ! けれど明恵さんの渡天の意志は堅かったようです。


 能 春日龍神 
画像 一回目の渡天(インド行き)計画を実行するばかりになっていた1203年の正月、叔父である湯浅氏の妻が、春日大社の神、春日明神の神託を受け、「日本の地を離れてはならぬ」とインド行きの計画の中止を迫りました。 明恵上人30歳の出来事です。

 1203年といえば、鎌倉幕府においては、源実朝が将軍になった年です。

 この折も、とてつもない不思議な現象が色々起こります。当時の人の驚きはすさまじいもので、この件について、上人の伝記以外にも数多くの書物が伝えています。

 なおこの春日明神の神託の考察については、奥田勲氏の「明恵 遍歴と夢」で詳しく知ることができます。 

 それはちょうど、「前の記事」中、東大寺の門のところで鹿たちが地に伏せてお辞儀(?)をした約一ヶ月前のことでした(異説あり)。

緑の太字をクリックすると説明/記事へ  赤字は記事末尾に説明があります。

                                                       猿沢池
画像 明恵上人の天竺(インド)行き中止とその原因となった春日明神の神託事件は、能の演目、「春日龍神」に描かれています。 ←私は見たことがありません。 一つだけ能を課外授業で見たことがありますが他の演目でした。

 この龍神さま、奈良の観光スポット、猿沢池(さるさわのいけ)に棲んでおられる春日明神のお使いのとか。 昨年秋、猿沢池あたりを通りましたが、池の水は少なく濁っていて、とても龍神さまのお住まいには見えませんでしたが・・・・・

 鎌倉時代はもっと広大な池だったんでしょうね。 今は修学旅行生が大挙押し寄せるスポットなので、たぶんもっと良い住環境をもとめて、龍神様、転居されたんじゃぁないかしら? 

 さてその後、明恵上人33歳の折、ふたたびインド行きを計画しますが、にわかに不可解な重い病気になり、断念を余儀なくされます。 断念するとたちまち回復します。 さらにこのとき、「夢」や「くじ」などが指し示す「渡るべからず」を神意と受け止め、明恵上人はとうとうインド行きの意図を放棄してしまうのです。

 気丈な明恵さんもさすがにその後しばらくは、かなりウツ状態にあったようですね。叔父の京都高尾神護寺にいる上覚にあてた手紙には次のように書かれています。

 「・・日夜憂愁きわまりないものがあります・・・修学の成果が上がらなければ・・・天竺などに向かって命をも捨てたいと思うのですが・・・少しも人と交わりたいとは思いません・・・ただ万事哀れに味気なく思います・・」
 
 夢破れて消沈しきっている明恵さん。 けれどインド行き中止は正解だったのです。春日明神の神託があった
1203年は、歴史ではインド仏教滅亡の年とされているからです。 

 冒頭と下の写真は、5世紀に建設され、1192年にイスラム教徒に破壊されたナーランダ仏教大学の遺跡です
 
画像 7世紀、唐の僧、三蔵法師、玄奘(げんじょう)が訪れたときには1万人もの学僧が学んでいたとか。あの西遊記に出てくる三蔵法師さんです。
 
 明恵さんはインド行きのプランを立てたとき、ここがすでに破壊されているのをきっと知らなかったのでしょうね。

 ナーランダにつづいて1203年(春日明神の神託の年)、 当時仏教の中心であったヴィクラマシーラ(Vikramaśīla)寺院を、イスラム教徒が焼き払い、僧侶を虐殺します。 これをもって仏教はインドで滅びたとされています。 

 ですからもしインドに無事到着されてもうまくいかなったでしょう。 訪ねるべき寺院や大学は廃墟と化していたでしょうし、仏教徒ということで殺されたかもしれませんね。  

画像 ナーランダ遺跡 学生1万人、教師千人を超え、六つの寺院、七つの僧院があった  
 図書館には 500万冊の蔵書があったという 

 イスラム勢力により12世紀に完全に破壊された  
 またナーランダは、お釈迦様が最後の旅をしたルートとして知られる

画像
  


画像 ユング心理学者の河合隼雄氏はその著書、「明恵 夢を生きる」のなかで、「明恵の渡天中止とインドにおける仏教滅亡の年が重なり、この共時性(シンクロニシティー)にわれわれも心を打たれるのである」と述べています。 

 最近、大学進学の夢を経済的事情からあきらめざるえなくなった若者が、電車を待つホームで、前に並んでいた人を線路に突き落とし、死亡させるという悲惨な事件が起きました。

 高校の成績もよく、親との関係も良好だったと聞きます。 ハローワークで職をさがし、学費を貯めてから進学しようと話し合っていたそうですが・・・・行きたかった大学進学の夢が途絶えたと思い込んでしまったことが、事件のきっかけの一つになったのかもしれません。

 「夢が破れる」といった事態は誰にも起こりうるつらい体験です。特に長年温めていた夢、強い憧れをもってそれに向かって努力していた夢が、何らかの事情で潰(つい)えることも起こりますね。

 こうした挫折の折、人はどうしたら立ち直れるのでしょうね? なかなか難しいことだと思います。なかには自暴自棄になってその後の人生をやけっぱっちになって過ごす人もいるでしょう。 

 その後どういう行動をとるかは、人によりさまざまです。 やけになる、誰かのせいにしてふてくされる、引きこもる、自殺する、人に暴力をふるう、色々な選択肢があると思います。 

画像 明恵上人の場合も、上記のようにしばらくウツになっていたようです←なんか私たちと変わらないなぁと親近感をおぼえます。 

 「夢記=ゆめのき」で有名な明恵上人、19歳の頃より毎夜見た夢、また昼間見た夢(ヴィジョンも含め)、詳細に記録しています。そしてこの夢破れしウツ状態の期間中も夢の記録を書いています。

 どうやら明恵さんは、夢の中に出てくるシーンのもつ意味を自身で考えながら夢を解き、落胆と失意をいやし、夢の示す新たな方向へと進む決意をするにいたったようです。


 河合隼雄先生は、失意の明恵上人が1203〜1205年にかけて見た夢の中で、

 「大水が出て馬で渡ろうとし、あんがい浅瀬があり、向こう岸に着く」夢と 「危険な岩場を渡りきり、その結果、不思議な桃を食べる」夢をあげ、明恵上人が「インドに行くことを止める決断によって、彼が何か新しい世界にはいることを示しているように思われる」と述べています。 ( 桃は果実=結実したなんらかの成果を得ることと考えられる)

 そして明恵上人本人もこの見解と同じように夢を解釈していたようです。

 個人的なことで恐縮なんですが、私は自分の見た夢を大切にしてきました。 夢には他愛のない内容も多いですが、中には未来を指し示す、自分の真の気持ちを表す、あるいは重要な問題点を知らせてくる夢もたしかにありますね。 

 夢は「魂の言語」で象徴的に語ってくるようです。 ですから夢を解く作業が必要になります。夢が指し示すものは、自我=エゴからのものではなく、どうやら、それを超えたもっと高次のものからのメッセージのように思われます。 魂の希求するものを、時おり夢は、指し示してくるように思えるのですが・・・・・・

 ですから、人生において本当につらいとき、挫折感にまみれるとき、どうしてよいかわからないとき、明恵上人のように、夜見る夢のなかで、夢が何を指し示しているのか、本来の自分が真に求めているものは何かを探り、そのメッセージに注意深くなることが、暗いトンネルを抜ける助けになるかもしれません。 

     ながきよの 夢をゆめぞと知る君や さめて迷へる人をたすけむ  (明恵上人歌集)

 幼い頃より仏陀を慕う気持ちが強く激しく、インドに渡りたくて旅支度も整えていた明恵さん。そしてその夢が破れ落ちこんだ日々。 やがて夢に導かれるように立ち直ってゆきます。 上の歌は、叔父の上覚の歌↓に対する返歌です。

        みることは みな常ならぬ 浮世かな 夢かと見ゆるほどの はかなさ (上覚)

 叔父さんの上覚が現世(浮世)は夢のようにはかなく無常である と詠んだのに対し、明恵さんは、

 現世/この世が夢と知るなら、そこから覚めて、迷える人を助けようではありませんか と返したのです。

 ここに明恵さんの新たな境地、決意をみるような気がします。 いつしか完全に立ち直り、後日、承久の乱の折もひるむことなく、逃れてきた人々を命を賭けて救います。 

 明恵さんの使命は、インドではなく、ここ日本にあったのです。

 1206年、渡天中止の約1年後、34歳の明恵上人は、後鳥羽院の院宣により、京都栂野(とがのを)の地に高山寺を賜ります。
                      

 最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。


 つづきの記事 ■明恵 夢を生きる ( 1 ) 耳切り事件 明恵上人 5■へ



明恵上人を初めから読む■京都神護寺を訪ねて 月の歌人 明恵上人 1■へ

関連記事■京都 高山寺を訪ねて 明恵上人 2■へ ■明恵上人の不思議な現象と「あるべきようは」■へ 
 
 
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参考資料


春日明神■へ


能 春日龍神 解説■へ


明恵 夢と遍歴 奥田勲 ■アマゾンの説明へ  詳細な学術的な考察であるが、読みにくくはない


明恵 夢を生きる 河合隼雄 ■へ アマゾンの説明へ どこの図書館にも備えてあると思います。
第一回新潮学芸賞受賞の名著  ユング心理学に興味のある方はぜひ。 大変面白いです。 
ユングをまだお読みになっていない方は少しわかりにくいかもしれません。 




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コメント(12件)

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素晴らしい日記をありがとうございますm(__)m

ここで私は歴史の勉強をいつもやりなおしております。

サファイアさん
すごいです。


明恵上人は
インドへ渡れなくて
残念でしたが
日本よりもはるかに広い中国、インド。
それを考えると
日本に居てよかったような気もいたします。

鬱になってしまったのは
お気の毒だと思いますが。


明恵上人も
サファイアさんも
素晴らしいです。
ありがとうございましたm(__)m
モニカ
2008/05/20 20:29
モニカさん、こんばんは。ありがとうございます。誉めていただくとこそばゆいですよ(笑)。人それそれ好みがあって、モニカさんが絵が好きなのと同様、私は昔の時代が好きなんです。それで好きなことだけを趣味で書いていますので、漢字の間違い(度々やっております)やその他の間違い(きっとある)があれば、ぜひ指摘していただければ幸いです。記事した場合、絵のほうがクリエイティヴですよ、断然! 歴史は跡を追っていくだけですから。今度久しぶりに音楽のでもしようかな?と思っています。コメントありがとうございます。
サファイア
2008/05/20 21:50
なるほど〜〜〜!

以前お話した
好きこそものの上手なれですねーーー!
音楽、ぜひ載せてください♪
ありがとうございます♪
モニカ
2008/05/21 22:22
こんにちわ サファイアさん 
明恵上人の渡天断念の無念さと春日明神の不思議なご神託にあらためて
感動しています。
信ずれば運命を変える事ができるのでしょうか。
明恵上人の「続き」が楽しみです。
 大学進学の道を断たれたと思った少年の無念さを受け止めることの
できなかった父の悲しみが以前紙上に載っていましたが、明恵上人の
お話にいたなら少しでも触れていたならと 今ブログをみて
思いました。  
 初夏の緑がまぶしい季節ですが6月公開のインデイジョーンズ観に行きます。
 今、退職前の長期休暇を楽しんでいます。


サザンエース
2008/05/23 09:56
こんにちは。コメントありがとうございます。私も例の事件のお父様のインタヴューをTVでみました。誠実なお人柄が伝わり、とても痛ましく、また被害者の方のご家族を思えば大変ご無念でおつらいだろうと、言葉に言い表すことができません。最大限努力してもどうしても叶わない夢もありますね。そんなとき、他の道、あるいは回り道が、もしかしたら天意なのではないか、と勇気をもって受け止めるような柔軟な観点を培うことも大切ですね。ただ「言うは易く、行うは難し」ですが・・・夢は本人の中から出てくるものなので、他の人のアドヴァイスなんかより、夢を解くちゃんとしたスキルを少し養えば、指針となりえるかなあと、個人的には思っています。
サザンエースさまのブログは、写真が大きくアップして流れるようにできるのですね。いいですね。今日拝見したら、前回よりずっとステキになっていたので、びっくりしました。また感想はこちらの「すみれ」のほうに少し書いております。それにしても鳴子で芭蕉が一句ひねらなかったことが本当に残念ですね。後世の観光にも大きく影響していますのに(笑)。しょうがない芭蕉さんです。


サファイア
2008/05/23 15:31
今回も興味深く楽しませていただきました。
連載が次回で終わるなんて、寂しい。。。
明恵さんの釈迦を慕う気持ちは、本当に強いですね。
そうそう。私も中学の修学旅行から猿沢池は見ていますが、竜神様がいるような気配はまったく感じられませんでした。だからこの記事読んで、びっくり。
でも猿沢池は好きで、奈良へ行くと、東大寺と猿沢池は行きたくなります。
norako
2008/05/23 22:28
こんばんは。いつも読んでくださいまして本当にありがとうございます。大変励みになります。
やはり猿沢池、誰が見ても龍神さまのお住まいには無理がありますよね。ご存知ですか?奈良公園は荒池とかもう少し静かな池が他にもあるんですけどね・・・そのあたりにお引越しかしらね? 鎌倉時代はみんなつながっていたのかもしれません、私その辺よく知らないのですが・・・なにはともあれ、今のようなにぎやかな所ではなかったと思います。
京都もいいですが、奈良はお寺が広大で、おおらかな気分になれますね。ゆっくり山之辺の道やら太子道やら昔歩き回ったところをまた行きたいのですが・・ああ遠いです、norakoさんも同じだと思いますが・・・
サファイア
2008/05/23 23:15
荒池というのは、奈良ホテルの近くですね?その池は近くまで行った事がないかも。
私も奈良のお寺はおおらかな感じが好きです。山之辺の道は数年前に行ったら、舗装されていて、ちょっとがっかり。。。東大寺の変わらなさは嬉しいです。東山魁夷展に唐招提寺の襖が出ていました。そして来週薬師寺展に行く予定です。そうなると、また奈良行きたい病がムズムズしてきます(*^_^*)
norako
2008/05/24 21:56
そうです、荒池はホテルの近くで静かです。

上野の東博にいらっしゃるんですね。日光、月光菩薩さま、今東京へご出張されてますね。私、どうしようかと思っていたんだけど、薬師寺へは時々行ってたから、博物館のほうはパスしようかなと思っています。でもやっぱり行きたいなあ!

そうですか、山之辺の道、全舗装ですか・・私が行った折(学生時代)は、まだ普通の道が残っていました。

唐招提寺は工事、いくらなんでも終わってますよね。西の京はいいですね。以前垂仁天皇陵を通って、唐招提寺のほうへ歩いていきました。ほんとにステキでした。水をなみなみと湛えた周濠がある前方後円墳で、つくしを採りながら、ハイキングしました。ただ私、情報古いから。もし奈良へいらしたら、写真など記事の中で見せてくださいませ。楽しみにしています。私は当分行けそうもありません(涙) コメント、ありがとうございます。
サファイア
2008/05/24 22:40
コメント、有難うございました。

サファイアさんの世界に圧倒されました、正直な話が・・・。
博学に加え、知識欲旺盛、さらには、エスプリとユーモアで人を寄せつけ、飽きさせません。

明恵上人の項をずっと読ませてもらいました。
内容もさることながら、読ませるスベを心得ておられる。説明に終らず、描写していらっしゃって、つい引き込まれます。

この上人にして耳切り事件とは! 「阿留辺幾夜宇和」に関係しているのですか・・・。
次回が待たれます。


minoc
URL
2008/05/26 23:33
minocさま、お時間をとって読んでくださいまして本当にありがとうございます。私は、色々なことに興味が移るタイプなので、まとまりがつかないものになっています。
私はゴッホの耳切り事件のことはあまり知らなくて、norakoさんのほうから情報をいただきました。ゴッホは明恵さんの耳切事件を知っていたのでしょうか?そちらの記事を読ませていただいた感じでは、ゴッホと明恵さんは全然異なる理由からしているみたいですが・・・そのあたりはまだなんともこれから少し調べようかな?この件は「阿留辺幾夜宇和」にはまったく関係していないようです。次回の記事に少しまとめてみたいと思います。ゴッホの件はそちらの記事へリンクさせていただければとても嬉しく存じます。あのようなステキな絵ばかりで、私のほうこそ、びっくり感動いたしました。 コメントありがとうございます。
サファイア
2008/05/27 00:44
以前ゴッホが明恵上人の耳の事を知っていたかもという新聞の記事を読んだとコメントに書きましたが、その書いた人も可能性の域を出ていませんでした。知っていたとしても、その行為に及んだ理由は全く違います。
ただ西欧の当時の売れない画家が、日本の中世の仏教の僧侶について僅かでも知っていたとしたら、あの頃の西欧が日本の美術ばかりでなく、日本の文化にずいぶん関心があったのだなあと、そしてどういう経路で知ることになったのであろうかと楽しく想像するばかりです。
いい加減なことを書いてしまって、ごめんなさい。
norako
2008/06/07 13:42

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