時空を超えて

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help リーダーに追加 RSS 明恵と女性  明恵上人 7

<<   作成日時 : 2008/07/19 15:01   >>

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画像 一生不犯の清僧として知られる明恵上人( 1173-1232 )。 しかし彼の周りには実に多くの女性がいました。 親類縁者以外の女性が明恵さんの周りに集まるようになったのは、1206年( 三十四歳 )、後鳥羽院より高山寺を賜わり、華厳宗( けごんしゅう)の寺として再興してからのことです。

 世間との交際をしぶり、弟子と取ることを好まず、あくまで静かに学問と禅定(瞑想)をして、求道に打ち込みたかった明恵さん。

 より良い修行環境を求めてあちこち移動していた彼にとって、後鳥羽院からの贈りもの、高山寺に住むつくことは大変な決意がいったようです。 

 それは、当時の宮廷、貴族たちとの交わりを受け入れなければならず、また貴賎を問わず、人々への説法の講座などを開かなければならないわけで、これまでの生き方を大転換する必要がありました。 当然、上流の女房たちとの交渉もひんぱんになります。

 ←重文 善妙神立像 高山寺 鎌倉時代

 そして高山寺を授かって以降、明恵さんはみずからの修行と人々への奉仕を両立させるようになります。

 
 承久3年(1221)、承久の乱が起こります。 後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れます。

 この時、明恵上人は逃げてきた敗残兵を高山寺で保護し、命を賭けて守りぬきます。(この件は明恵上人 2 を見てください 青字をクリックしてください )

画像 首謀者の後鳥羽院は隠岐島に、また後鳥羽院側の皇族の多くは配流され、一条信能など数多くの公卿は処刑。 また院近臣なども流罪、そして院に味方した多くの武士は処刑されたり、追放されます。

後鳥羽上皇(1180〜1239) 父は高倉天皇 安徳天皇の異母弟 後白河法皇の孫→

 鎌倉幕府は、上皇方についた公家・武士の所領をすべて没収(ぼっしゅう)し、幕府領としました。源平の戦いで没収された所領は500ヶ所あまり。 承久の乱では没収された所領は3000ヶ所以上あったそうです。
 
 こうした戦後処理で歴史の教科書に書かれていないのは、敗れた側の家族のことです。

 主(あるじ)を殺され、男の子を粛清(しゅくせい)され、その上、経済的基盤である所領を奪われて、路頭に迷う未亡人や娘たちが巷にあふれました。 

 敗れた側の女性たちの運命は過酷そのもの。 親戚を頼れる幸運な人たちもいましたが、事情があり親戚から見放された者は、殺されたり、自決したり、売られて奴隷にされたり、遊女になったり、飢えて行き倒れて野犬に食べられたり・・・悲惨をきわめたとか。

画像 明恵上人は、高山寺を頼ってきた夫や息子を殺された行き場のない公家・武士の未亡人たちや子供たちを保護します。

 貞応2年( 1223 )、冒頭の善妙から名をとり、善妙寺を創建し、尼となった女性たちに安住の地をつくります。

 都図絵 高山寺 (2回クリックすると大きな図に)

 

 さて 中世日本、また当時の仏教界では「女人(にょにん)救いがたし」 「女一人の業障(カルマの災い)は三千世界のすべての男の煩悩の総和に等しい」 さらには「変成男子=へんじょうなんし」なる現代人から見れば奇妙この上ない考え方が浸透していました・・・・(青字をクリックすると説明へ) ←まったく女性に対して失礼千万です!
  
 救いがたい汚れた存在として女性を見ていた時代、女人禁制のところも多く、明恵さんにすがって高山寺に逃げ込んできた大勢の女性たちを敢然と救い、善妙寺まで建立し、教育のための講義もし、行き届いた救いの手を差し伸べたその行為。 尊敬します。 

 人はその生きる時代、国や地域、環境、所属する団体・宗教に特有の考え方、価値観の枠組みの中で物事を見てしまう傾向がありますね。 そして、自分がある枠組みの中から見ていることにふつう気づかないものです。 そういう意味で、誰もが無意識にその生きる時代、環境がもつ限界を帯びているものですが・・・・

 ところが明恵上人の場合、中世という時代の限界を示す、上記のような女性への差別的な言動はいっさい見られないのです。 

                                                明恵上人樹上座禅図
画像 明恵さんは少年の頃より、学問と同時に、国宝の座禅像に見るとおり、禅定(瞑想)の修行を生涯、それはそれは深くした方です。 →

 さまざまな書が伝えるとおりであれば、僧として、学問も禅定も当時、右に並ぶ人がないくらい、深くした方です。

 ちなみに、禅定で得られる内的体験は、頭の思考による学問で得られるものとは、まったく異なる質のものです。河合隼雄先生の言う「合理と非合理」の深い追求が同時になされていたのでしょう。

 私は思うのです・・・感受性に富むという性格から来る面もあるでしょうが、そうした禅定の結果、生きた時代の考え方や思想の枠組みを高く超えたところから、別の表現をすれば、到達した深い深い次元から、生きとし生けるものの「いのちの実相」を見透していたのではないかと。  

 というのは、女性のみならず、人以外の小さな生き物(アブや小鳥)にいたるまで、「いのち」を本当に愛おしまれているからです。 いえいえ、生きている「いのち」だけではありません。 石や島にも人と同等に接する方ですから・・・高山寺には、生涯大切にされていた、若い頃拾った石や海のタツノオトシゴのミイラも残されています。

 すなわち、深い禅定(瞑想による修行)の結果、自分以外の他の生命(いのち)を、そして自然を、自分のいのちと同等に、しかも一体感をもって観ることができる方だったのではないかと、私には思われるのです。(←この件は明恵上人 3も参照してください) *1これについては記事末に町田宗鳳先生による説明を記載。

                                                         高山寺 石水院
画像 さて、承久の乱のあと、高山寺は次から次へと押し寄せる傷心した女性たちで一時あふれかえったようです。

 そうした女性たちにとって明恵上人はどう映ったのでしょう? 承久の乱の頃、明恵さんは48歳ぐらいです。





画像 大歌人、藤原定家が「濁世のほとけ」と呼んだ、戒を守る純粋で高潔な人柄、また、臨済宗の祖、栄西禅師が後継者になってほしいと切実に頼まれたほどの器。 その上、美しく涼やかな風貌! そして彼は生きる意味を教えてくれた人なのです。

 ←栄西禅師 (1141〜1215)
 画像            藤原定家 (1162〜1241)↓



 


 どうやら明恵さんをお慕い申し上げた女性たちが続出したようです。 事実、明恵上人が亡くなられた後、清滝川に身を投げて後を追われた明達(みょうたつ)という尼僧がいます。 後を追われた尼が複数いたとの説もありますが・・・ ちなみに、明恵さんの死に殉じた人、僧二人、尼一人、どの方も明恵上人において生きがいを見いだし、上人の死で生きる光と力を失ったのかもしれまんね。 それほど皆から慕われていたのでしょう。 

 承久の乱後に善妙寺にいた女性か、知り合いの女房かは定かではありませんが、粗末な衣を着ることが多かった明恵上人に、袈裟と衣をつくって贈ったり・・・・そんなこんなプレゼント攻勢に困り果てた明恵さん、相手を傷つけないように、心のこもったお手紙 ( 皆が真似をすると良くないので・・・ウンヌン) を書いて衣を返しています。衣は高価なものですし・・・←ワイロを受け取り、教員試験の合格者の操作した大分県教育委員会の一部に聞かせてあげたいわ!

 花を贈られた方も・・・ナデシコの花は受け取られました。 「ナデシコ、さっそく活けましょう」と礼状を出されています。 このあたり贈り物に対してきちんとしたルールをお持ちだったように思います。

 たぶん女性の皆さん、いろいろ知恵をしぼってがんばっていたんでしょうね(笑) 私だって当時高山寺にいたら、お花をいっぱい摘んで贈ったと思いますよ(笑)  

 ところで、こうした女性たちの熱視線のなか、明恵さん、男としてお気持ちはどうだったのでしょう?なかにはとてもきれいな方や魅力的な方もいらしたはずです。 

                   重文 夢記 明恵(1173-1232)筆  京都国立博物館
画像

 「夢記」を見ると、やはり女性が出てくる夢が以前より増えていると、河合隼雄先生は指摘されています・・・女性が出てくる重要な夢は、承久の乱以前にも見ていますが・・・・・・ハイ、色っぽい夢も少しございますわよ! 明恵さん、正直ですから、見た夢をしっかり記されているんです(笑)

 専門家の河合先生によれば、色っぽい夢を表面的に、欲望の抑圧とだけ考えるのは早計なんだとか・・・ 男性にとって夢に出てくる女性は、アニマに関わる大きな意義をもつことが多いのです ←青字をクリックすると説明の他のブログへ

 また、「明恵は欲望を拒否したり、抑圧したのではなく、それを肯定しつつ、なお戒を守るという困難な課題に取り組んだ」と述べています。
 
 ところで明恵さん、本当にその気になれば、いくらだって機会はあったはずです。当時破戒の僧のほうが圧倒的に多く、隠れて女性を囲っていたり、がごくふつうだったとか。 この点について明恵さん、いつも次のようにも語っていたそうです(下の言葉、 お元気な頃に<過去形>で語られたことに注意してください)

 「幼少の頃より貴き僧になりたい、と願っていた。一生不犯で清浄であろうと思っていた・・・誘惑に負けそうになったことが何度かあったが、<不思議な妨げ>があってその志をついに果たさなかった・・・そしてうち冷まし、うち冷まし・・・」と

 つまりなんらかの妙なお邪魔虫が入って しなかった/できなかった?と言う意味だと思いますが・・・・・そしてお邪魔虫さえ無ければ、きっとしていたであろう、という意味ではないでしょうか? 皆さん、これを読んでどう思われますか? 

 この告白はすなわち、あれほど意志が強く、じっさい戒を見事なまでに守り、耳を切ってまで仏への献身をあらわした明恵さんには、おぞましい破戒僧になってでもしたい方が昔いた、それほどまでに愛した女性がいた、と言う裏返しの表現とも取れるのではないでしょうか? 

 明恵さんのいちずで剛毅かつ純粋な性格を考えるとき、女性なら誰でもいいからとにかくしたい(←ふつうの若者ならそういう場合も)とか、誘惑されたからその気になった、ではない、と私には思えるのですが・・・・・

 さて、明恵さんに関連する近年の研究の成果を踏まえ、2006年に名古屋大学教授、磯部隆氏がこの点について特定の女性をあげて驚くべき説を本にされています。 というか、河合先生がほのめかしていた点でもあるのですが・・・・そして私は、これまで明恵さんの行動について、他の先生方の本を読んでも納得できずにいた不可解な点が氷解したのです。 

 この件は次回 ( 明恵 運命の恋 )に。 
 長いのを読んでくださいましてありがとうございました。

                                  
                          次の記事へ明恵 運命の恋 最終回

参考文献
「明恵上人 伝記」 平泉平泉洸訳注 講談社学術文庫
「明恵 夢を生きる」 河合隼雄 講談社
「明恵 遍歴と夢」  奥田勲  東京大学出版会
「法然対明恵」 町田 宗鳳   講談社


 前回の■明恵上人 6  夢記 2 大孔雀王/塔を昇る夢■へ

      ■明恵上人 5 夢記 1 耳切り事件■へ

      ■明恵上人 2 京都高山寺を訪ねて■へ


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参考

画像 法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決  ←クリックするとアマゾンの説明へ

 町田 宗鳳   講談社 1998

 出版社/著者からの内容紹介
 人はいかにすれば救われるか。法然と明恵――鎌倉新旧仏教を代表する両者の思想対決は、私たちを根源的な 問いへと誘う。現実か理想か。他力か自力か。そして、生と死の究極の姿とは。2人の対決の彼方に宗教のアクチュアルな「力」の再生の可能性を探る

                       ☆     ☆     ☆
  
  この本とても面白いです。 鎌倉初期の傑出したふたりの異なる座標軸に焦点を当てています。法然上人の念仏思想は極楽往生を前提とした他力本願であり、明恵の「あるべきようは」は臨機応変の「自力本願」と言えるかもしれません。 町田先生は、法然上人の座標軸を「死の座標軸」、明恵のそれを「生の座標軸」と呼び、法然の現実主義、明恵の理想主義、他力による救い、自力による救いと 明快です。ちょっと明快すぎるようにも思いますが・・

 明恵上人は当時流行していた法然の説に反論するため、『摧邪輪{さいじゃりん}』を著わしています。この件についても ↑の本の中で取り上げています。


*1
14歳で出家し、臨済宗大徳寺で修行を積まれた著者の町田宗鳳氏は、
「法然 対 明恵」のなかで、明恵さんにとってごく自然な心の風景は「主体と客体が一体化した世界」としています。

つづけて以下のように述べています 「〜」は引用

「明恵の心象には、ひとつの明確な特徴がある。それは対象と自己を一体化しようとする傾向が強いことである」

「一切の事象が親密に関係しあっているという、法界縁起の世界を全身で体現しようとしていた」

つまり 「・・・月の白い光を浴びている自分と、夜空に耀く月とが同じ命を生きていることを全身で感じ取っていた」

画像また「ちなみに、法然がルターなら、自然を愛し、山中で瞑想にふけることを無二の喜びとした明恵は、さしずめアッシジの聖フランチェスコであろう。 <小鳥に話しかける>聖フランチェスコには、歴史の流れを変えてしまうほどの組織力はなかったが、彼の高潔な人格は今も人々の心をうちつづけている。 明恵もまた然り(しかり)である」


追記

1986年11月4日に京都栂尾高山寺(世界遺産)と
イタリア、アッシジの聖フランチェスコ教会(世界遺産)は
姉妹寺院(教会)になっています。













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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
んまー!やはりフランチェスコと明恵さんが似ているところがあるというのは、誰もが思うところだったのですね。フランチェスコも尼僧院を建ててますしね。しかも姉妹寺院だったとは。。。ファンとして不明過ぎました。。。( - - )
敗者側の女性がかくも過酷な人生を歩まねばならないとは。そんな時、明恵さんの存在がどれほど頼りになったか。やはり素晴らしいですね。
それにしても、明恵さんの特別な女性が気に掛かります。次の記事も、楽しみに待ってます。
norako
2008/07/27 21:29
norakoさん、お久しぶりです。お忙しいようですね。私も昨日一週間ぶりに帰ってまいりました。この世のお勤めはお互い色々大変でございますね。がんばりましょう!

明恵さん、磯部先生の説によれば、おお、すばらしい方がいらっしゃるのですよ! なんという感動的なお話かと! 泣けてしまいます。次回ご紹介しますね。フランチェスコのクララさんに少し似ているような方が・・・それより、はるかに、もっとずっと感動的なのでございます。この説で私的には決まりだと思っています。他の先生方の特に町田先生の説は私的にはズバっと却下でございます。だってあのような感受性豊かな明恵さんが恋の一つもなさらないなんてことがありうるでしょうか? 先入観は良くないと、誰かの名言にございますが・・・コメントありがとうございます。norakoさんの新しい境地をまた教えてくださいませ。機会があれば・・・
サファイア
2008/07/28 08:52
いつの時代も戦争の犠牲者は女性とこどもですね。身寄りのない人々の末路の描写はリアルで凄惨ですね。歴史は時が経つと刹那さが美化されてしまうようです。
 この欄をお借りしていいかしら。黄色いカンナの詩、美しい情景です。イラストや油絵の世界ですね。私の最近の絵も女の子(妖精)が入っています。
人物が入ると、絵画も詩もガラッと雰囲気が変わりますね。
 また見せてくださいね♪
織音
2008/07/28 09:20
織音さん、ありがとうございます。織音さんは絵を描かれるんですね。ブログで拝見したいなあ!でも絵はプロの方だからそれは無理な相談なんでしょうね。カンナは今見直すと、色に関する言葉が多すぎますね←マズッ! まあ素人だからご愛嬌とお見逃しください(←自分に甘いですね)

戦(いくさ)をテーマにした戦国乱世ものが大河ドラマではいちばんの人気だと聞きますが、戦闘シーンをかっこよく映しているものの、実際は悲惨そのものだったのでしょう。昔も今も戦争は汚いものですね。おっしゃるように、年月が経つと美化されてしまうのでしょう。今拝見したら、織音さんの、少し見ぬ間にすご〜く進んでいらっしゃいますね。また後ほど。コメントありがとうございます。 
サファイア
2008/07/28 09:57
こんばんわ
明恵上人のお話ますます面白くなってきています。
私は、上人の真似をして 昨夜の夢を 忘れないように
記憶に止めようと就寝時、気合をこめて床に就くのですが
夢は見ているようですが、起きてみると見事に
忘れています。
 仕事に追い込まれる夢は、よくありましたが、明恵上人の様に華麗な夢?を なかなか見ることができません。
 修行が足りないからでしょう。
 先週白洲さんと河合さんの本を購入しました。そして師匠のブログの展開が
 よく理解できるよう一生懸命読んでいきたいと思います。
 カンナの詩は幼い姉妹の懐かしいある日を彷彿させ、お二人の幸せを
祈らずにはいられない、ほのぼのとした味のある作品でした。 
 


サザンエース
2008/07/30 21:55
サザンエースさま、ありがとうございます。夢はふつう、明恵さんのような壮麗な夢を見ることは少ないのではないでしょうか。私なんかは、夢の中で娘にキーキーゴチャゴチャ言っていたりします(恥) 明恵さんは深い禅定をなさっていたので、ふつう我々の意識レベルとは違う状態を常としていたので・・・・でもたまには私も人生にとって意味ある夢を見ることがあります←壮麗とはほど遠いものではありますが。サザンエースさまの夢もそのうちにきっと重大な意味あるものが象徴的イメージをもって語ってくるのでは・・・
それからどうか「ししょう」はご勘弁を(笑) この頃、漢字、スペルなど支障つづきですので・・ カンナはなんかああした形になってしまいました。姉妹は仲がよく妹にはいつも感謝でいっぱいです。コメントありがとうございます。
サファイア
2008/07/31 08:13
おひさしぶりです!
やっとここまでやってきました!

つ、続きが気になります!
いまから行きます!(笑)
モニカ
2008/08/08 20:46
モニカさん、こんばんは。 お久しぶりで〜す! ご旅行から帰ってこられたんですね。私はこの所ずっと女中モードで今日帰ってきました。お返事遅くなってごめんなさい。もう一箇所女中しなければいけないのですよ・・暑いですね。 これからおじゃましま〜す!楽しみ! コメントありがとうございます。
サファイア
2008/08/09 19:40