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help リーダーに追加 RSS 明恵 夢記 ( 1 ) 耳切り事件 明恵上人 5

<<   作成日時 : 2008/05/01 08:55   >>

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画像 19歳の頃より約40年にわたり、自分の見た夢の記録を書き留めた明恵上人。 この世界でもまれな記録は、「夢記:ゆめのき」と呼ばれ、約半分が現存し、その多くが高山寺に伝わっています。

 高山寺絵図  寛喜2年<1230> 重文 神護寺蔵 →
 戦乱や火災で焼失した三重塔や他のお堂があった頃の伽藍(がらん) 



 「彼の夢は生きている」と、白洲正子氏がその著、「明恵上人」のなかでと述べています。一方、河合隼雄氏は、 明恵の人生の態度を、「夢を生きる」と表現しています。

 どういうことなんでしょう?

 神護寺 Wikipedia より
画像 明恵は九歳のときに高尾神護寺に入山して、仏道にはげんでいましたが、十二歳のとき、一度高尾を出ようとします。

 高尾を出る決心をした明恵は、その夜に夢を見ます。

 その夢とは、高尾山を下りてゆくと、路に大蛇が横たわり、鎌首をもちあげ向かってくる。そこへ、八幡大菩薩の御使いの大きなハチが飛んできて、「汝、この山を去るべからず・・その時節ではない」というものです。

 明恵はこの夢によって、「時」が熟していないことを悟り、高尾に留まることにしたのです。 

 明恵さんは、少年時代にすでに、夢告というべき夢による導きを重視していたようですね。 

 つまり、夢の内容によって現実が支配されています。 

 夜見た、意味ありげな夢であっても、 <変わった夢を見た>として片付け、忘れてしまえば、夢からはほとんど影響を受けないでしょう。けれど、夢の内容を考え、そのメッセージに従うとなれば、「夢」は単なる夢ではなく、リアリティになります。そして明恵上人は、生涯にわたって夢に対し、そうした態度、「夢を生きる」とも言うべき態度をとっています。 

 明恵さんの夢に対する態度について、町田宋鳳氏はその著「法然 対 明恵」の中で、「華厳の理事円融論(りじえんゆう)にしたがえば、覚醒時の体験と睡眠時の体験は途切れることがなく、互いに関連をもち・・・」、同時に「夢もまた、菩提心の実践の一環として体験させるべきだと明恵が考えていたからだ」と述べています。



画像 彼は、八幡大菩薩の夢の後 7年間、高尾にこもり、きびしい修行をします。 この間も数多くの重要な意味をもつ夢を見ています。その一つに、夢にひとりの梵僧=インドの僧が現れ、明恵の仏学の理解の行き届かない疑問点(当時の大家に尋ねてもわからなかった点)を一つずつ解明してくれるのです。 そしてこのインドの僧は、一生涯を通じて時おり現れ、夢の中で明恵さんを見守り、導いてゆきます。

 つねにお釈迦さまの生まれたインドへの憧れをいただきつづけた明恵さん。彼の周囲の仏僧の破戒のさまを見るにつけ、ますます釈尊への愛慕を強めていた彼に、インドの僧が守護天使のように、教師のように、夢のなかで支援します。 

 仏教的な表現をすれば、前世からのご縁をふくむ大きな意味での仏縁なんでしょうか? それとも、ユングのいう「老賢者=Alte Weise」としての元型=アーキタイプが彼をさらなる高次へと導いて・・・・? 

 このあたりは凡人にはとうてい測りがたい、明恵さんの深い内的体験です。 夢って時には、本当に不思議な作用をやってのけますね。


画像 またこの時期、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)についての意義深い夢を数多く見ています。 

 これに関しては説明すると長くなりますので、興味のある方は、ぜひ奥田勲氏の「明恵 遍歴と夢」 および 河合隼雄氏の「明恵 夢を生きる」を参考になさってください。 河合先生のほうは、ユング臨床心理学からの考察になっています。両書とも大変面白いです。

 国宝 仏眼仏母像 高山寺 鎌倉時代 → 

 明恵上人は幼い頃より、自身の美貌に不快感をもっていたようです。 醜い容姿ではなく、美形であることにですよ! 信じられます? 男性もエステや整形手術をする現代において、こんな人いるのかしら?と思います。

 明恵 耳切り事件

 4歳の時、父親(平重国)が明恵さんが美形なので、軽い気持ちで「大臣に仕えさせよう」と言ったのに対して、幼い明恵さん、美形のため僧になれないのであればと、自分の顔を傷つけようとします。 そのため、縁から落ちようとしたり、焼け火箸で顔を焼こうとしたり・・幸い(?)傷つけるまでには至らなかったのですが・・・(ああ、よかった!)

画像 13歳の時にはお釈迦さまの故事にならい、捨身を試みます。一種の自殺です。

 捨身とは、「身を捨てて仏等を供養し、または身肉を衆生に恵み施す烈しい行」なんだそうです。 それで夜中ひとりで墓地に行き、そこにずっと横たわっていました ( なんと2回も捨身を試みています! )

 当時の墓地は死体を捨ておくだけの所で、飢えた野犬や狼がウロウロしてしていました。野犬に食われて、自分の肉を施そうとしたのですが、何も起こらず、明恵少年、とてもがっかりして引き上げてきたんだそうですよ(ああ、よかった!)

 この捨身について、白洲正子氏は、「いいかげんな生き方なら『生きても何かせん』、この気持ちは生涯彼につきまとったようで、明恵の人生の底流には、鎌倉武士の血潮が、まぎれもない音を立てて流れつづけていたのです」と述べています。 

 承久の乱の折も、落人たちを助けようとして「我が首をはねよ」と平然とされていましたからね。

 ただ青少年期の墓地での捨身については、後年振り返り、「(血気盛んな)若気のいたりであった」と苦笑いされています。

↑捨身飼虎図  飢えた虎の親子のために、お釈迦さまが自らの命を捨てたという故事


 明恵は建久6年、23歳のときについに神護寺を出て、紀州(現、和歌山県)の白上の峰に草庵を構え、隠棲し徹底した修行を始めます。そして24歳のとき、上の図の仏眼仏母像の前で、右耳を切るのです。

画像 ところで、西洋にも耳を切った有名な人がいます。
 ポスト印象派の画家、ゴッホ(1853 - 1890)です。

 一時共同生活をしていたゴーギャンに「自画像の耳の形がおかしい」と言われると、自らの左の耳朶(じだ)を切り取り、 女友達に送りつけます。 

 ゴッホの件について興味のある方は、■ゴッホ耳切り事件■の記事を参考にしてください↑クリックしてください(手書き文を大きくすると、迫真のシーンが・・)

 ゴッホ 自画像 パリ オルセー美術館にて →
 (3回クリックすると、大きな画像に、色使い・タッチがわかります)


 さて、明恵上人の場合は、ゴッホとはまったく異なる理由で、耳を切ったのでした。 以下の「 」は河合先生の「明恵 夢を生きる」からの引用です。

 「明恵は常に釈迦に直接教えを受けられなかったことを残念に思っていた・・・・そこでひたすら修行に努めようと思うが、周囲の僧たちを見ていると、むしろ世俗の生活を満喫して生きているとしか思えない。

 剃髪や染衣をつけることも、驕慢な心をのがれるためのものであるにもかかわらず、坊主頭を美しく剃ることや、きらびやかな僧衣を着ることにうつつを抜かしている・・・明恵の嘆きは深く、『行状』などに書かれた彼の言葉は、他の仏僧たちに対する怒りも重なって、火も吹かんばかりの勢いである・・・・

 剃髪や僧衣を着る意味がほとんど失われているとするならば、なんとかして自分の姿を変え、俗世間から離れて仏道への志を確立しよう、と明恵は考えた。

 しかし、眼をつぶしてはお経を読めなくなるし、鼻をそいでは鼻水が落ちてお経を汚すであろう。手が無くなると印を結ぶことができなくなる。 そこで、耳を切れば・・不自由はないので、耳を切ることを決意するに至る」


明恵さんの当時の僧たちへの憤慨は、僧衣とかの簡単な問題だけではなく、権力におもねる、金品をねだる、女性問題、また稚児の問題(現代なら犯罪)など、僧としてのあり方全般におよんでいるようです

 明恵さんはまた、「自分は気が弱いので、片輪者にでもならないと、人の崇敬に乗って出世してしまうだろう」(←伝記)、俗にまみれる出世街道を歩みたくない、と考えて、仏眼仏母像の前にて、みずから剃刀を取って右の耳を切ってしまうのです。

 血しぶきが飛び散り、本尊、仏具、聖教にもダーッとかかります。 本当にものすごい行為です。明恵さんって、僧であると同時に武士ですね。

 <右耳を切るという行為>は、世俗に堕ちずに仏道にまい進するという決意の表明。 それと同時に仏道・仏法への一種の「供儀 くぎ」なのかもしれません。

 耳を切ったその夜見た夢は、驚くべきものでした。 

 夢の中にまたもやインドの僧が現れます。そして明恵さんに、「自分は頭、目、手足などを仏法のために惜しまない行為をしたことを記録する者である・・・この度、仏のために身命をすて、耳を切って如来を供養したことを記し、留めておく」と言って、大きな書に書き込んだのです。

 明恵さんはその夢により、<耳を切る行為>が支持され、承認されたと思います。翌日、耳の痛さをこらえ、泣きながらお経を読み、本尊を仰ぎ見ると、眼の上が光り耀きます。眼をあげて見ると、虚空に、文殊菩薩が金色に耀く金獅子に乗って現れたのです! 身の丈、今の単位で約1メールほど。 明恵さんどんなに感動されたことでしょう!

 こうした明恵上人の夢について「信じられな〜い」と思う現代人も多いと思います。奥田勲先生は、「明恵における夢と夢記は、仏にひたすら仕え、仏によって全く許された一個の人格が、ためらいや自意識による歪曲もなく、『水を飲む』ように夢見ては書きつづった魂のあざやかな軌跡なのだろう」と述べています・・・・

 そして私は奥田先生の見解に「ふむふむ」と共感するのです。 なぜなら、私のような拙き者にも、夢は大切なメッセージを、それなりにちゃんと伝えてくるのですから。 

 それにしても私、知りませんでした、明恵さんの時代のお坊さんたち、頭の美しい剃り方(ツルツルに剃って椿油でもすり込むの?)とか、流行の僧衣ファッションなど、おしゃれに大変気を配っていたんですね。 
 

 (注)明恵上人は、宗教的な夢、瑞夢などのほかに、日常的な夢もたくさん見ています。夢の分類は奥田先生の     本を参考になさってください。

 最後まで読んでくださいましてありがとうございました。


               つづきの記事■明恵 夢記(2) 大孔雀王の夢、塔に昇る夢■へ 


明恵上人を初めから読む■京都神護寺を訪ねて 月の歌人 明恵上人 1■へ


関連記事■京都 高山寺を訪ねて 明恵上人 2■へ ■明恵上人の不思議な現象と「あるべきようは」■へ 
 
 
前の記事■生涯の夢破れるとき 渡天(インド行き)の中止 明恵上人 4 ■へ


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参考に



明恵 夢と遍歴 奥田勲 ■アマゾンの説明へ  
東京大学出版会 1994 詳細な学術的な考察であるが、読みにくくはない


明恵 夢を生きる 河合隼雄 ■へ アマゾンの説明へ どこの図書館にも備えてあると思います。
講談社プラスアルファ文庫
第一回新潮学芸賞受賞の名著  ユング心理学に興味のある方はぜひ。 大変面白いです。 
ユングをまだお読みになっていない方は少しわかりにくいかもしれません。


明恵上人 白洲正子■ ←アマゾンの説明へ 
講談社文芸文庫 現代日本のエッセイ
 






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コメント(13件)

内 容 ニックネーム/日時
面白く、というと上人に叱られそうですが、拝読しました。なんといっても、文章力ですね。

世俗を断ち切って、仏道を極めんがための「耳切り」。そこには自分を捨てて衆生済度を願った上人の姿があります。
ところで、リンクいただいた「ゴッホ耳切り事件」(有難うございます)も、画家の愛他精神がその根底にあったことに、両事件の共通項を見い出します。

若い頃のゴッホがキリスト伝道のため炭鉱の貧民街に身を投じます。自分の衣服を与え、最も危険な採掘の先端現場へすすんで入り込み待遇改善の声を上げます。
しかし、エキセントリックな行為として、伝道会から追い出されてしまいました。
ゴーギャンとの共同生活にしても、画家たちの生活向上のために芸術家共同体として取り組んだ端緒でした。
つまりは愛他精神でした。
挫折のなかでの発作的な自傷行為。かれは発狂し、精神病院に収容されました。
しかし、わたしは、意味こそ違え「耳切り」に両者の“衆道済度”の熱い気持が根底にあったことに気づき、感慨無量の思いです。

読ませる文章家のサファイアさん、続きが待たれます!
minoc
2008/06/07 13:24
以前ゴッホが明恵上人の耳の事を知っていたかもという新聞の記事を読んだとコメントに書きましたが、その書いた人も可能性の域を出ていませんでした。知っていたとしても、その行為に及んだ理由は全く違います。ただ西欧の当時の売れない画家が、日本の中世の仏教の僧侶について僅かでも知っていたとしたら、あの頃の西欧が日本の美術ばかりでなく、日本の文化にずいぶん関心があったのだなあと、そしてどういう経路で知ることになったのであろうかと楽しく想像するばかりです。いい加減なことを書いてしまって、ごめんなさい。
norako
2008/06/07 14:23
minocさま、こんばんは。ゴッホには、キリスト伝道のため炭鉱の貧民街に身を投じたり、画家たちの生活向上のために芸術家共同体として取り組んだり、そうした理想のためにひたすら活動していたのですね。私はゴッホの人生に関してほとんど知らなかったので、彼の悲惨な最後を今考えると、痛ましくてなりません。 
今回の記事は、河合先生をはじめとする引用「 」で表示を多用しておりますので、文章力は諸先生方のものだと思いますよ(笑)
minoc様のほうのゴッホといい、東西において、理由は異なるにせよ、耳を切るというのは、凡人ではなく、天才だからこそかな?とも思います。コメントありがとうございます。
サファイア
2008/06/07 20:13
norakoさん、こんばんは。やはりnorakoさんの以前おっしゃったこと、当たっているみたいですよ。ゴッホが「日本の高僧が耳を切った」ことをどうやら知っていたらしい、そして、彼が耳を切った背景にはその知識も関与していたのではないか?と精神科の先生がゴッホの病状についてお書きになったのを、図書館で読みました。日本の高僧って明恵さんしかいませんものね。
ゴッホはジャポニズムの影響をすごく受けていて、ものすごく日本に詳しかったそうです。今でこそ明恵さん、そんなに脚光を浴びていませんが、江戸時代や明治のころは今よりはるかに有名で大人気だったらしいのです。そういうことから、norakoさんの読まれた新聞も私が読んだ本も、ソースがあるのではないでしょうか。 norakoさんが教えてくださったので、東西の耳切り事件を記事中に取り入れることができたのです。こちらこそ、本当にありがとう!
それから今回で終わらなくて、次回でやっと明恵さん、終了となります(トホホ)
サファイア
2008/06/07 20:24
すごい!サファイアさんのリサーチ力!
ゴッホの耳切り事件は知ってましたが、女友達の耳を送りつけていたとは知りませんでした。リンクして下さったminocさんのブログ、今回のコメントも、驚く内容で楽しみました。私のうっかりコメントで、楽しみが倍増して、恥ずかしいやら、嬉しいやら。。。
次回が最終回?それは残念。次回のテーマもすごく楽しみです。なんだろう♪私は竜女の話や尼僧のことも興味があります(←さいそく(*^_^*)こう書いたら、最終回が伸びるかなと)
norako
2008/06/07 21:32
えーと、次回は明恵さんと女性たちの話題になる予定です。少しだけ女性週刊誌ふうかも。竜女というのは、義湘とのお話ですね? 善妙についてはすごーく長くなるので、たぶん・・・norakoさんがおっしゃるとおり、尼さんたち、明恵さんに対してどう思っていたのかな? 女性の立場で見て少し考えてみることにしま〜す。河合先生たち、男ですからね・・女心がわかるとも思えないし・・・(ああ、失礼、お許しください)
サファイア
2008/06/07 21:53
スファイアさん今晩は。明恵上人の凄さが歴史に疎い私にも迫真してきました。自分の肉体の一部を切り取ってお釈迦様への帰依を示す捨て身の行為は凡夫には到底出来得ぬものですね。もし現代に生まれ変わっているとしたら、耳は切らないまでも身を挺して宇宙大調和のために働いていらっしゃることでしょう。もしかしてイケメンではないかもしれませんね。(本人希望により?)
次回作楽しみです。
織音
2008/06/08 21:53
追伸 入力ミスでスファイアになっていました。サファイアさんごめんなさい!
織音
2008/06/08 22:03
織音さん、こんばんは。明恵上人は自分にきびしく、まさにサムライで激しく凄いのに、同時に小さな生き物や困っている人たちにとても温かく優しいのです。そこが本物だなあと思います。織音さんのおっしゃるとおり、もし生まれ変わるとしたら、イケメンは止めになさるかもしれませんね←私としてはとても残念ですが(笑)明恵さんの場合、本当に、お釈迦さまへのまったき帰依というものですね。 コメントありがとうございます。
サファイア
2008/06/08 23:55
サファイアさんこんにちは♪
明恵上人
本当に興味深いお方でございます。

美しいならば美しいなりに悩むのですね。
うらやましい(笑)


そして
耳切り事件
ゴッホのところは恐ろしいので
クリックしませんでした(笑)

夢のお告げは私はよく解るのです。
夢のメッセ−ジは大きいです。

モニカ
2008/06/09 17:41
モニカさん、こんばんは。夢に関して多分モニカさんもそうなんじゃあないかな?と思っていました。私は人生の重要な決断は夢に従ってきた経緯があるので、明恵さんこと、とても親近感が沸くのです。モチロン、明恵上人のようなレベルが高い夢ではありませんが・・・人ってタイプがあるみたいですね。私なんかは感覚的な面と論理的思考が弱く、むしろ直感的なタイプ。そういうタイプはいくら頭で考えてもいい考え浮かばないみたいです。下手な考え〜って言いますね。まさにあれです。 コメントありがとうございます。
サファイア
2008/06/09 19:07
こんにちわ サファイアさん
明恵上人の「耳切り事件」の描写迫力がすごいです。さすが師匠さまです。
 しばらくご無沙汰していましたが、私のプロフィールが少し変わりました。
この六月九日が定年退職日となり職業欄も空欄になりました。
 その間、秋葉原事件が起こりました。改めて明恵上人の偉大さがわかりました。そしてこの前が岡山事件です。迷える人たちに明恵上人をもっと広めましょう。そんなわけで、私はこれから、暇がたくさんあるのでご紹介の白洲、河合両先生の本を読みたいと思います。楽しみです。
 平家落人伝説に秋保温泉が登場してうれしかったです。
宮城県仙台市の西北部に霊場 定義山(じょうげさん) 西方寺があり落人伝説が生まれています。(名物 定義三角油揚げ)
おみくじもよくあたるので年に数回は参拝します。何かの機会に情報をupしたいと思っています。
  と言うわけで明恵上人の続きを期待しています。
サザンエース
2008/06/10 18:09
サザンエースさま、こんばんは。長い間ご勤務され、これから新しいページになりますね。新たなご活躍をお祈りいたします。秋保はとても有名で、こちらにもその名がとどろいています。私は行ったことがなく、機会があれば行きたいなあと考えています。サザンさまの記事の中で芭蕉が一日60キロも歩いたとのこと。昔の方が健脚とはいえ、すごいですね。現代人には考えられません。仙台は杜の都。数回、行ったことがあります。広瀬川の流れ、そしてあの名曲。あの歌大好きです。それからお断りもせず勝手なことで申し訳ないんですが、「すみれ」の記事のところに、芭蕉の句を一つ、私が引用しているため、そちらの「芭蕉考」へのリンクをさせていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。コメントありがとうございます。
サファイア
2008/06/10 21:26