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zoom RSS 絵画館の壁画に見る幕末・明治の歴史、神宮外苑の秋  

<<   作成日時 : 2007/12/08 01:01   >>

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画像 神宮外苑の銀杏並木の黄葉は見ごろかな?と東京ドームのイベントをのぞいた後、信濃町でJRを降りました。

 外苑の木々は紅葉し、赤く色づいた葉が、風とともに舞い散っています。

 国立競技場の脇をとおり、銀杏並木のところまで行くと、黄金色には少し早かったかもしれません。それでも大勢の人出です。銀杏並木はドラマのロケでひっぱりだこですね。

 青山通りのほうへ並木道を歩きます。


画像 内側から木を見上げれば、黄色の銀杏の葉を透かす木漏れ日に、みんなの顔は、黄金色とはいかないまでも、黄色く染まっています。
 
 秩父宮ラグビー場あたりはちょうど見ごろ。みなさん、カメラを向けています。

 青山通りからは、都立青山高校前をすぎて、神宮球場の横を通って絵画館へ向かいます。

 神宮球場は好きな球場のひとつです。 ドームは、蓋(ふた)されているため閉塞感があり、苦手です。 私は空が見えて風がわたる球場が好きです。

画像 神宮外苑のシンボル、「絵画館」の正式な名前は、「聖徳記念絵画館」だそうです。1926年竣工。 

 時々絵画館の前を通っても、中に入ることはありませんでした。ずっと謎の建物だったのですが、初めて中に入ると、なんて立派なんでしょう!中央部に見事なレリーフに飾られた高い白亜のドームがあり、長方形の窓にはステンドグラス。中央広間の壁、床は、ピカピカの大理石です。内部は壮麗そのもの。

 明治天皇にまつわる幕末・明治期の政局を描いた絵画を中心に展示されています。絵画といっても、縦3m、横2.7mの大きな壁画です。

画像 日本史で習った有名なあのシーン、このシーン。教科書に載っていた絵の原画である大壁画が、80点も堂々と展示されています。実に壮観!

 ■大政奉還■ 邨田丹陵 画
     中央に座っているのが、15代将軍徳川慶喜
     京都、二条城黒書院 大政奉還は1867年。


画像

 
 
   ■岩倉大使欧米派遣■ 山口蓬春 画
   横浜港を出発する使節団一行。1871年のこと。
   中央の艀=小船(日の丸を掲げた)に乗る
   和装の人物が岩倉具視卿
   右手の小船には津田塾創始者、津田梅子の姿
   当時6歳。

     
 絵葉書を買いました。1枚70円。 みなとてもきれいです。母へのプレゼント。近衛師団にいたおじいちゃんの仏壇に供え、見せてあげることでしょう。

画像



 左:■東京御着輦■ 小堀鞆音 画  1868年(明治元年)明治天皇が京都から東京へ 二重橋を渡るところ
                   
 右:■初雁の御歌■ 鏑木清方 画  1878年9月 昭憲皇后 赤坂仮皇居御苑


画像 それにしても、山口蓬春、鏑木清方などスゴイ画家ばかり。前田青邨や堂本印象もあったし・・・絵画館は、パンフレットにも書かれているとおり、「優れた芸術作品であるとともに、政治・文化・風俗の貴重な歴史資料」の宝庫です。 
 この絵画館、ほとんど広報活動をやりません。不思議だなぁ!(館内写真は絵画館HPより:ちなみに館内は撮影禁止)

 
 見学を終え、館の前のベンチで一休み。ドームのイベントでもらったお菓子とジュースをとりだし、ポリポリ。「ああ、芸術の秋!」 ポリポリ。 いえ、「天高く、馬肥ゆる秋」かしら。<馬>?

 よく見ると、<馬>ではありません。
 
 角が一本ついています。 まさか。ユニコーン(一角獣)なの?ギリシャ神話に登場する? 

 絵画館の広い前庭の正面、日の丸のポールのサイドに、一対の動物の銅像が、神社の狛犬(こまいぬ)のように絵画館を守っています。私がずっと「馬」だと思いこんでいた動物には、目をこらすと・・・・やはり角が・・・・・

 どう見てもユニコーン! なぜまたここに? 西洋建築の絵画館に狛犬は似合わないだろうし、ライオンを置けば三越になるし・・・・それでなの? 

 
画像
                      

 いえいえ、これは<麒麟(きりん)>なんだそうです。 動物園にいる首の長いきりんではなく、「中国の伝説上の動物。鳥類の長である鳳凰と並んで、獣類の長とされる」おめでたい神聖な生き物、瑞獣(ずいじゅう)。

 絵画館の方がおっしゃるには、みなさん「馬」か「ユニコーン」だと考えるんだそうです。

 おめでたい麒麟さんたちにも出会えた、秋の昼下がりでした。 


 なお、絵画館について詳しくは:絵画館をクリックしてください。


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■岩倉大使欧米派遣■ 

時:明治4年11月12日(1871年12月23日) 所:横浜港

幕末当時、諸外国と締結した条約が日本にとって不利な点が多かったので、これを改正するため、岩倉具視(いわくらともみ)、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文等60余名が欧米各国の制度や文化を視察に行きました。艀(はしけ)で横浜の埠頭(ふとう)を離れ、アメリカ号に向かう光景を描いたもの。 ←「聖徳記念絵画館 パンフレット」より。 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
知りませんでした!
麒麟がいるのですね!
西洋建築に東洋の麒麟・・・・なんかミスマッチのようにも感じますが、実際には違和感皆無・・・洋の東西を上手く融合させている巧みを感じます。
日本人って、ただ取り入れるだけでなく、自分たちの感性とか様式・生活・風土に沿った物にアレンジするのも得意なのかも知れませんね。
そう言えば東大寺の伽藍は、大陸様式で作られていると思うのですが、その庇は明らかに長くて大きいようです。
雨の多い日本ならではのアレンジなのかな・・・・
日本人の凄さを感じてしまいました♪
ともともくまとも
2007/12/04 02:25
こんばんわ。ハイ、「麒麟」がいます。ずっと「馬」とか思っていて恥ずかしいです。絵画館って、あの当時日本の威信をかけて建設したという心意気が伝わってくる建物ですね。「東大寺の庇、長くて大きい」と、「ともとも」さんはよく見ていらっしゃいますね。私なんか、ボーとして「スゴイなあ」と感心して焦点定まらず、見ていただけです。千年以上前に、大型クレーンもなく、よく巨大建造物をつくったなあ!と、ただただ昔の人々の技術力と奮闘ぶりに感嘆!いまのスーパーゼネコンさんもあんなのなかなか造れないのではないかしらって思いました。大仏の鋳造も大変だったでしょうけど、初代の大仏殿って誰が設計したんでしょうね?大陸や朝鮮半島から渡来された方々なのか、それとも先進知識を学んだ大和の方なのでしょうか、いまのは三代目の大仏殿だそうですが、創建時は高さは同じで間口は今よりはるかに大きかったそうですが、本当に頭が下がります。コメントありがとうございます
サファイア
2007/12/04 20:39

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